【けいはん・夢・みらいびと】元WBA世界スーパーウェルター級暫定王者 寝屋川支局編集長(見習い) 石田順裕さん

 本紙守口支局編集長で「もりぐち夢・みらい大使」のU.K.が、地域の魅力を伝える「みらいびと」。今回は元プロボクサーで世界王者、本紙寝屋川支局編集長(見習い)の石田順裕さんを紹介する。現在は寝屋川で「石田ボクシングジム」を率い、後進の指導に力を注ぐ。少年時代から栄光と挫折を重ねた歩み、そして地元への熱い思いを語ってもらった。

「寝屋川を盛り上げていきたい」と語る石田さん
「寝屋川を盛り上げていきたい」と語る石田さん

元世界王者が波乱のボクサー人生を語る
寝屋川への想い、そして新たな挑戦

 ─どんな子どもでしたか?

 生まれは熊本ですが、幼稚園からはずっと寝屋川です。子どもの頃は本当におとなしい子で、幼稚園も「行きたくない」とずっと言っているようなタイプでした。心配した父親が「強い男の子に」ということで4歳のときに無理やり始めさせられたのがボクシングを始めたきっかけです。

 ─本気ボクサーになろうと意識したのは?

 小学校6年生の時、京橋の大阪帝拳ジムに通うようになったのですが、そこでプロのボクサーたちにすごく可愛がってもらいました。その中の一人が、あの辰吉丈一郎さんだったんです。辰吉さんが世界チャンピオンまで駆け上がる姿を間近で見て、「めっちゃかっこええな」と憧れを抱くようになりました。それが最初のきっかけですね。

 ─アマチュア時代も輝かしい成績を残されていますね。

 高校1年生で全国3位になり、その後は全国優勝もしました。近畿大学に進学し、4年生の時にはキャプテンとして、地元の「なみはや国体」で準優勝することができました。

 ─大学卒業後はすぐにプロの道へ?

 いえ、その時点ではプロで食べていくのは難しいと考えていて、就職の道を選びました。アルバイト先の知人から児童養護施設の話を聞き、東大阪の「若江学院」という施設で働くことになったんです。福祉の資格もなかったのですが、施設長のご厚意で昼間働きながら夜に勉強して資格を取りました。
 2年間ボクシングから離れていたのですが、施設にボクシング部に通っている高校生がいて、その子に「先生ももう一回やったらええやん」と背中を押されたんです。それで、練習期間わずか2日で社会人選手権に出場したら、なんと全国優勝してしまって。それを機にプロへ転向しました。24歳の時でした。親には大反対されましたが、やりたい気持ちが勝ちました。
 デビューから8カ月で東洋太平洋チャンピオンになりましたが、そこで有頂天になってしまって…。練習もろくにせず、初防衛戦であっさり負けてしまいました。そこからタイトルマッチ4連敗というスランプに陥りました。

石田ボクシングジムの練習生たち
石田ボクシングジムの練習生たち

 ─どん底からの復活のきっかけは?

 28歳で結婚し、子どもができたことです。「もう勝つしかない」と腹をくくり、アメリカへ武者修行に行きました。帰国後の試合で世界ランカーに勝つことができ、そこから道が開けました。そして34歳で世界タイトルを獲得。
 しかし、その後のメキシコでの防衛戦では、勝ったと思った試合で、不可解な判定負けを喫しました。もう引退しようかと思いましたが、妻に「そんな辞め方は絶対あかん。あんたが自分で限界を感じて辞めるならいいけど、それで辞めたらあかん」と止められたんです。その言葉で奮起し、今度は試合をするために単身アメリカへ渡りました。
 ラスベガスのMGMグランドで、賭け率が18対1という圧倒的不利な状況でしたが、1ラウンドでKO勝ちすることができました。周りのサポートと、誰もやらないことに挑戦する自分の行動力が結果に結びついたんだと思います。この試合は、後にNHKの「逆転人生」でも取り上げていただきました。

 ─引退はどのように決意されたのですか?

 最後は階級をヘビー級に上げて、当時の日本チャンピオンだった藤本京太郎選手とタイトルマッチをしました。判定で負けはしましたが、「もうボクシングでやることは全部やったな」と、何も悔いがなくリングを降りました。

元WBA世界スーパーウェルター級暫定王者 寝屋川支局編集長(見習い) 石田順裕さん

 ─現在は寝屋川でジムの会長として、指導者としてのやりがいは?

 若い子が夢を持ってジムに通ってきてくれて、その子の夢をサポートすることにすごく生きがいを感じています。選手と一緒に感動を味わえるのがたまらないですね。もう仕事という感覚はないです。

 ─石田会長にとって、寝屋川はどんな街ですか?

 僕にとっては落ち着く場所です。一番の思い出の場所は河川敷公園ですね。小さい頃に親父に練習させられた場所であり、自分が練習した場所でもあり、そして今、うちのジムの選手たちが走っている。三世代が同じ場所でボクシングに打ち込んでいるというのは、感慨深いものがあります。

 ─最後に、小紙寝屋川支局の編集長(見習い)として、今後の抱負を

 これから色々学んでいきたいですが、やはり寝屋川を盛り上げていきたいという気持ちが一番です。「寝屋川で一番読まれる新聞にする」、そのくらいの気持ちで頑張ります。

タイトルとURLをコピーしました