石破総理「辞めない」理由

大阪生まれ「参政党」なぜ強い

 参院選後の臨時国会が召集され、自公連立政権は憲政以来初の衆参両院で少数与党となる石破内閣がスタートした。
 選挙結果は左表の通りで、自民、公明、共産が負け組、横ばいが立憲、維新、れいわ。勝ち組は参政、国民。1、2議席の少数政党を除けば勝敗がはっきり出た。
 この状況下で「既成メディアは参政党叩きをなぜ続けるの?」と「石破総理はなぜ辞めないの?」が今もくすぶり続けている。

衆議院本会議が始まる前に、石破茂首相(左)と話す赤澤良成経済再生担当大臣 =2025年8月1日(つのだよしお/アフロ)

神谷代表と石破総理の素顔 ネットでは分からない〝裏側〟教えます

〝悪名は無名に勝る〟を実践

 参政党の強さは比例得票数から読み取ることができる。一般的に参院比例代表では、約100万票で1人の当選者が出るとされ、参政党は約743万票を獲得し、7人の当選者を出した。この得票数は、国民民主党の約762万票(7人当選)に迫る数字で、立憲民主党の約740万票(7人当選)を上回る結果だった。当然のことながら、公明党、日本維新の会、れいわ新選組の得票数も大きく上回っている。
 公示当初、神谷宗幣代表は当選目標を「選挙区1人、比例5人。民意を受け止め国会内で活動するのに必要な衆参で2ケタ10人(他に衆院3人、参院非改選1人)に届くから」と語っていたが、結果は倍以上。「選挙区、比例各7人」当選で一気に計18人へ躍進した。
 1面の各党当選者数を単純に見れば、自(右派)公が参政に、自(左派)共が国民に食われた格好になる。参政の党員・サポーターは10万人弱で、地方議員も155人程度。代表自身も「組織的な活動で得られるのは数十万票レベル。700万票はどこから来たのか…」と戸惑いを隠さない。
 安倍元総理を支持していた自民党右派票だけでは説明できず、今の政治状況に不満を持つ若者層が投票率を引き上げ、支えたことになる。
 同党が若中年向けに訴えた公約は「消費税段階的廃止、社会保険料減免」で、そのための財政出動を含む積極財政を説いた。趣旨は国民民主の「手取りを増やす」に似ている。
 選挙公報には大きな活字で『日本人ファースト』が踊り、具体的には①日本人を豊かにする~行き過ぎた外国人受け入れ反対②日本人を守り抜く~WHO(世界保健機関)主導の新型感染症(コロナなど)対策見直し③日本人を育む~憲法作りで政治に哲学を─と驚くほど米トランプ大統領の『アメリカン・ファースト』政策に似ている。
 神谷代表は反対する人々に「アンチの人もありがとう」と笑顔で礼を言っている。演説では「自分たちは存在感があり〝今の日本を変えようとしている〟と感じているからこそ、必死で止めようとしている人がいる。私たちはもっと力を付け、そうした人々もファンにする」と強気だ。
 かつて彼の街頭演説の一部を切り取り〝問題発言〟とやり玉に挙げていた地上波テレビ。参院選後にテレビはこぞって神谷代表をスタジオに招き、話しを聞く方針に転じた。神谷代表は「ネット発信だけでなく既存メディアに露出する効果は大。参政党を知らなかった方の認知度が格段に上がる」と自信を深める。

参院選の投開票日に東京の党本部で報道陣に対応する参政党の神谷宗幣党首=2025年7月20日(ロイター/アフロ)


準備万端の神谷代表

 2010年頃、私は吹田市議時代の神谷代表と話したことがある。その時の印象は「国政を目指す上昇志向」を強く感じたことだった。2年後に彼は自民党から衆院選に出馬し、地元北摂から離れた東大阪市での選挙に大敗。しかし彼は「投票したい党がないから自分で作る」と、20年の参政党立ち上げまで8年をかけ、周到な準備を重ねた。神谷氏自身が参院選に初出馬し初当選したのは22年のことだ。
 参院全選挙区に候補者を擁立するには、供託金だけでも選挙区1人300万円、比例1人600万円が必要になる。組織と資金があるからこそ出来る技で、単なる新興勢力と侮れない理由はここにある。
 「自国民ファースト」のポピュリズム(大衆迎合)的な考え方は、EU(欧州連合)の「移民排斥」に始まり、米トランプ再登板で勢いを増し、反グローバリズム(国際協調)が今や先進国のトレンドと化した。
 神谷代表は街頭演説の雰囲気こそ高揚的だが、普段の話しぶりは早口とはいえ非常に丁寧な口調。メディアの挑発には乗らず、笑みをたたえてソフトに反論する。
 維新現職から立候補を阻止され離党した梅村みずほ議員を参院選前に迎え入れたのも、「所属国会議員5人」の政党要件を満たすためで、極めてしたたか。右左両派の既存政党にとっては手強い存在だ。

大敗しても辞めない理由はコレ

地元鳥取は石破氏を全面応援

 対する石破総理は就任以来、衆参、都議選と3連敗なのに、なぜ辞めないのか。私は本紙の親会社で石破氏の地元、鳥取県の日本海新聞で過去に編集制作局長を務めた。総理とは鳥取市内の石破邸の書斎に上がり込んで話す仲だ。
 そんなこともあって参院選後に石破氏の最側近に「議員辞めたら最高位の桐花大綬章もらえるし、没後は鳥取駅前に〝県初の総理大臣〟として銅像が建つ。他に何がほしいの」と聞いてみた。すると彼は「自民党の支持率低下は、統一教会や裏金が原因。石破の責任ではない」と反論してきた。
 だが、石破氏は07年の参院選で安倍総理が旧民主党に負けた時、退陣を迫った経緯がある。だから「今回は石破さんの番。このままでは言動不一致になるよ」と言うと、「ジゲ(地元)のモンは〝行けるところまで行ってほしい〟と思ぅとります」と情に訴えてきた。
 私は総理の言う「国難時に政治空白を生んではならない」とか「赤心奉国(誠意を込め国に尽くす)」などのキレイゴトは信じない。何度敗れても党総裁選に立ち続け、自ら「最後の挑戦」と公言し臨んだ昨秋、ようやくつかんだ総理の座だ。満を持しただけに「この難局を乗り切れるのは自分しかいない」と本気で思っているようだ。
 しかし私は自民党の仕組みをよく知っている。派閥の領袖は子分にカネとポストをばらまくことで人が集まる。石破総理は当時から身辺がきれいでカネはないしポストも取れない。わずかな石破派議員は次第に四散五裂し、今や信頼できる仲間は赤沢亮正経済再生相ら地元・鳥取選出の議員しかいない。最側近が務めるべき官房長官を、総裁選を争ったライバル林芳正・元外相が務めているのはそのためだ。


終戦80年の総理談話

 国政では、日程が全てを左右する。今週5日に国会が閉幕し、6日の広島、9日の長崎の原爆投下日には、総理が現地で平和式典に出席した。本紙が届く頃の8日に開かれる自民党両院議員総会で、森山幹事長が辞任を表明すれば、総理は後任人選に窮するのが現実だ。このタイミングでの人事刷新は、政権運営に深刻な影響を与えるだろう。
 石破総理がこだわるのは、戦後10年ごとに時の総理が発してきた「終戦談話」とみられる。前回の15年、安倍総理は言葉巧みに「戦後70年で総理談話は区切り」を示唆した。しかし、政治的なライバルであり、安倍総理とは歴史観で相容れない石破総理は、今年80年目の「総理談話」を発表することにこだわっている。15日の全国戦没者追悼式当日なのか、党内反発を考慮し別の日にするのかは定かでないが、「戦後80年総理談話」を花道に、今月末には勇退せざるを得ない状況に陥ると見る。
 そうなれば自民党総裁選を経て、秋の臨時国会はいずれかの野党と連携し、首班指名になる可能性が高い。騒がしくなりそうだ。