樹木を強くしたい思いから「植樹」の大切さを伝える環境事業部を社内に立ち上げ、植樹体験を企画運営する「KIOUETAI」プロジェクトリーダー山形隆三さん。「年中夢中」で出会った人たちを巻き込んでいく。その原動力はこれまで制限を余儀なくされた経験への「反動」だった。
岸和田市久米田で育った山形さんは、誰とでも仲良くなる楽しい小学生時代を過ごしていた。そんな山形少年はある時、友達から「この女たらし」と嫌味を言われてしまい、ひどく落ち込んだ。「自分はみんなと楽しくしているだけなのに」そんな思いもあったが、心優しい山形少年は「嫌な思いをさせてしまうぐらいなら」とふさぎ込んでいっていった。
地元の高校を卒業後、生まれ故郷の鹿児島の大学を受験。新しい環境で、徐々に自分を取り戻していった。きっかけは好きになった女性と数々の会話を交わす日々。その後、その女性と結婚し生涯を共にするようになる。卒業後は大阪の工務店に就職した。就職氷河期、毎日100件以上の家庭を訪問する営業で、神経をすり減らす毎日だった。1年半で退職し、食品関係や経理など様々な業務を経験し、30歳で父、照視さんがはじめた鉄筋工事の事業を行う山形開発工業に入職した。
そんな山形さんは33歳の時、不慮の事故にあう。車の信号待ちに際に追突事故にあい、ムチウチの症状、慢性的なひどい頭痛や首の痛みを抱えることになる。病院に行っても、状態がよくわからず、わずかな振動でも辛い。すでに2児の父となっていた山形さんには不安と絶望感が立ち込める日々だった。
転機となったのは東日本大震災。報道を見ているうちに「防災や津波の対策に鉄筋の技術で何ができるか」と考えた山形さんは単身、津波被害のひどかった東北地方へ。そこで津波の跡、まばらに耐えた樹木の生命力の強さ、強く根を張る広葉樹が津波被害を抑えていた現実も知った。現地の方と意見交換をして被災者達や、強い根を張る樹木から力強さに感化された山形さんは、時間があれば東北の植樹会にボランティアで参加し、先進医療による治療も功を奏し、次第に回復していった。「気力も体力もこの出会いにもらったようなもの。後世に少しでも良い未来を残したい」ほとばしるような思い、活動制限を余儀なくされた時間を取り戻すべく、植樹の普及活動に身を投じていく。鉄筋を組み合わせた植樹キットを制作し、植樹体験を企画。そのすばらしさを説いて回る毎日を送っている。SDGSの一環として、小中学生向けの出前授業も実施、2025年の大阪・関西万博で苗木の植栽体験を無料提供する「KIOUETAI」の実現に奔走している。
「誰とでも友達になれる」最大の武器を発揮、見事に開花させた山形さんはどこにでも現れ、初めて会った人にも心を開き、利他の精神で見方を増やしていく。今日も同じ目標を持つ仲間と「地球防衛」に励んでいるだろう。