世界遺産・飛鳥と藤原の謎を歩く 1300年前の日本のはじまりへ

 新たに世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」。奈良県に点在する19の遺跡は、日本という国の原点だ。巨大な石室や壁画の謎、宮都跡を彩る花々など、1300年前のスケールを歩いて体感する歴史の旅へと案内する。(山﨑博)

上空から見た飛鳥宮跡と藤原宮跡周辺(写真提供:世界遺産「飛鳥・藤原」協議会)

世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の謎 日本国の〝はじまり〟を巡る旅

 その昔、蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があったとされる甘樫丘に立つと、眼下に大和三山も含む広大な藤原京の跡が広がる。ここは飛鳥から藤原へ、日本の国づくりが大きく動き出した歴史の舞台だ。新たに世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」は、奈良県の橿原市、桜井市、明日香村、に点在する19の遺跡で構成される。宮殿・官衙跡、仏教寺院跡、墳墓を巡れば、日本という国の原点が少しずつ見えてくる。

目前に迫る巨石 歴史が教科書を飛び出す 歩いて分かる千三百年前のスケール

日本最古の大都市

 歴史の授業で必ずと言っていいほど登場する645年の「乙巳(いっし)の変」。中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち、蘇我氏中心の政治は大きな転換点を迎えた。その後、大化の改新や壬申の乱などを経て、天皇を中心とする国づくりが進められ、694年、日本初の都である藤原京が完成した。
 そして、710年に平城京へ都が移るまで、この一帯には宮殿や役所、寺院、貴族や役人の住まいが並ぶ一大都市が広がっていた。現在、奈良市西ノ京に建つ薬師寺も、藤原京で創建された寺とされ、その跡が橿原市の本薬師寺跡として残っている。

本薬師寺跡に残る礎石(写真提供:世界遺産「飛鳥・藤原」協議会)

大和三山が見守る都

 藤原宮は、香具山、畝傍山、耳成山からなる「大和三山」のほぼ中央に築かれ、三山の配置は、都の場所を定める上で重視されたとも考えられている。『万葉集』には、中大兄皇子がその争いを詠んだ歌が残り、解釈には諸説あるが、三山を男女に見立てた恋物語としても知られている。藤原宮跡に立てば、都を囲むように連なる三山を今も見渡すことができる。

藤原宮跡に再現された柱。かつてこの地に宮殿が建っていたことを伝える(写真提供:世界遺産「飛鳥・藤原」協議会)

巨大な石室に残る謎

 藤原宮跡を中心に都の広がりをたどった後は、飛鳥を代表する石舞台古墳にも足を運びたい。約30個の巨石を積み上げた石室は、日本最大級の横穴式石室として知られ、内部に入れば、その大きさを間近で体感できる。
 これほど巨大な古墳でありながら、誰が葬られたのかは分かっていない。蘇我馬子の墓とする説が有力だが、決定的な証拠は見つかっていない。本来は盛り土に覆われていたと考えられているものの、現在は石室がむき出しになっている。いつ、なぜ盛り土が失われたのかも明らかではなく、飛鳥を象徴する古墳には、今も大きな謎が残されている。

巨大な石室が露出した石舞台古墳(写真提供:世界遺産「飛鳥・藤原」協議会)

謎といえばキトラ古墳

 藤原宮跡、石舞台古墳と巡った後、もう一つ訪ねたいのがキトラ古墳だ。直径約14㍍の小さな古墳だが、石室内には極彩色の壁画が残る。四方には青龍、白虎、朱雀、玄武、その下には頭部が十二支の動物で、身体が人間の姿の十二支像が描かれ、天井には360個以上の星を金箔で表した天文図が広がる。さらに東に太陽、西に月が配され、石室全体が一つの宇宙を表すようにつくられている。
 四神が全てそろった古墳壁画は国内ではキトラ古墳だけとされ、天文図も東アジア最古の現存例とされている。人骨や副葬品が見つかっているものの、墓の主は特定されていない。誰のために、これほど壮大な宇宙が描かれたのか。今も多くの謎が残る。

キトラ古墳の墳丘(写真提供:世界遺産「飛鳥・藤原」協議会)

古代の宮都を彩る花景色

 飛鳥・藤原は、史跡とともに季節の花々を楽しめる。秋は特に見どころが多く、9月のお彼岸前ごろから各地でヒガンバナが咲き始める。中でも、明日香村の稲渕棚田は、赤い花と緑の棚田が織りなすコントラストが人気だが、以前に比べて少なくなっているという。ヒガンバナは藤原宮跡でも知られる。
 同じころには、甘樫丘のコキアも色づき始める。さらに10月中旬ごろからは、藤原宮跡でコスモスが見頃を迎え、広大な宮跡の一部が花畑に変わる。春には各地で桜が咲き、桜と菜の花が重なる風景も人気を集めている。

秋になると藤原宮跡は一面のコスモスに包まれる(写真提供:世界遺産「飛鳥・藤原」協議会)
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