ビジネスホテルの枠を超え、「ぐっすり眠れる宿」として多くの宿泊者を惹きつけるスーパーホテル。原点には、数々の逆境を乗り越えてきた創業者・山本梁介会長の〝直感〟と〝感謝〟に根ざした経営哲学がある。83歳となった今も現場に足を運び、感性と人間力を大切にして経営の舵取りを行う山本会長に、阪本晋治が迫った。
「感謝が〝腹〟に落ちた瞬間、 人生が好転し始めた」

─幼少期はどんな環境で育ったのか。
実家は大阪・船場で繊維商社を営む商売人家系だった。会社を興したのは祖父で、母が社長令嬢、父は婿養子で二代目だった。幼い頃から食卓では商売の話が飛び交い、「一歩先のことをやると、費用がかかり過ぎる。だから〝半歩先〟のことをやらなあかん」「生き銭であれば、身銭を切ってでもやるべきだ」などの教えが自然と身についていった。
─なるほど。商売人としての英才教育を受けられる環境だったわけだ。ところで、今はホテル業を営んでおられる。繊維とは、まったく異なる業種だが、転機はいつ訪れたのか。
慶応大を卒業した後、「ちょっと見習いに行け」と言われたので、繊維商社の「蝶理」に入社した。そこで3年ほどお世話になったが、父が体を壊したので家業に戻り、25歳で3代目の社長に就任することとなった。
─若くして社長に…。苦労したのでは。
当時、120人ほどの社員を抱えていたが、私の未熟さから社員との信頼関係を築くことができず、リーダーとしての壁にぶち当たった。経営学の本を読みあさり、憧れていたカリスマリーダーを演じたのだが、うまくいかない。
番頭さんから「あのー、社長のおっしゃっていることはわかりますが、理想と現実は違うからできませんよ」と。 そのうち、組合運動まで起きてしまった。
─どんな気持ちだったのか。
言っていることは正しかったと思うが、リーダーとしての素養が欠けていたと思う。自分自身も面白くないと思っていることは社員のみなさまも面白くないと思っていると考えて、会社を譲渡する気になっていた。
ちょうどその頃、番頭さんの紹介で、当社を買収したいという会社が出てきた。社員の雇用も引き継いでくれるということで、会社を売却することにした。
母は三代続いた家業を閉めることに最初は難色を示したが、私の覚悟を理解し、最後は背中を押してくれた。
─その後、不動産業にシフトした。
父が堅実に経営していたので、会社を売却した後も不動産が残った。それで賃貸業を始めてみたが、どうも面白くない。そんなとき、英字新聞で「米国のニューヨークやロサンゼルスではファミリー世帯が半分を切り、独身者が増えている」という記事を見かけた。当時の日本は24、25歳で結婚し、家庭を持つという習慣だったので非常に驚いた。若者は仕事をするため、そして文化的な刺激を得るために都市部にやって来る。米国がそんな時代になっているコトを知り、日本にも必ずワンルーム時代が到来すると直感した。

─それがヒントになり、シングルマンションをはじめた。
関西初だった。木造2階建てで風呂・トイレ付きのワンルームを建てたら大ヒット。年間200~300室ペースで事業は拡大していき、最終的には6000室を超えた。
ところが、バブル崩壊という大きな試練が訪れてしまった。それまで、お金をどんどん貸してくれていた銀行は手のひらを返し、「返せ」と言ってくる。金利の罠だ。社員には賞与もろくに払えない状況に陥ってしまった。
─そんな逆境の中で、大切なことに気づいたそうだが。
深夜に事務所で一人悩んでいたとき、ふと〝感謝〟の気持ちが込み上げてきた。家族を抱える社員たちは文句も言わず働いてくれている。感謝という言葉が〝頭〟ではなく〝腹〟に落ちた瞬間だった。そこから私の人生は大きく変わっていった。
─いよいよホテル業へと進んでいく。
不動産とシングルマンションのノウハウを生かし、出張族がぐっすり眠れるホテルを作ろうと考えた。1996年に福岡でスーパーホテル1号店を開業した。屋号には「ホテルを超えるホテルを作ろう」という思いを込めた。
─「ぐっすり眠れるホテル」という独自の価値はどのように生まれたのか。
宿泊するのはビジネスマンが中心だ。彼らに翌日の商談で最大限の力を発揮してもらうために〝最高の睡眠環境〟を追求した。空気清浄、湿度を快適に保つ珪藻土の壁、水の浄化、光、音、ベッドの全てにこだわった。ぐっすり眠れなかったら宿泊費を返金する〝ぐっすり保証〟も始めたほどだ。
─温泉も特徴の一つになっているが、きっかけは。
母の「大阪市内で温泉に入りたい」という一言からだった。事業も順調だったので、「よっしゃ、掘ったろか」と(笑)。大阪市西区の江戸堀のホテルに導入して以来、温泉付きのホテルは人気になった。
─会社経営で「理念」の重要性にも気づかれたとか。
30店舗ほど出したころ、クレームや稼働率の低下に悩まされた。現場に顔を出すと、社員たちの顔が生き生きしていない。ホテルに入った瞬間、社員がピリッとしているか、うつむいているか。いくらマニュアルを作っても、理念が共有されていないと、現場は疲弊する。数字だけで動かすのではなく、価値観を共有する。それがサービス業の基本だ。そこから「感謝感動の輪を大きく回していく」というスーパーホテルの経営理念を浸透させていった。その後、全国展開が加速した。

─リッツ・カールトンとの逸話も面白い。
ちょうどその頃、リッツ・カールトンが大阪に進出してきた。「世界最高のホスピタリティ」と評される名門ホテルだが、テレビの報道でスーパーホテルと並んで紹介された。うちは一泊4980円、向こうは3万円だ。
それで私もどんなものかと一泊してみたが、「1円あたりの満足度なら、うちの方が高いんちゃうか」と思った。それなのになぜ、世界最高と言われるのかが気になり、いろいろと調べてみた。
─答えは。
米国で優れた経営品質を持つ組織を表彰する「マルコム・ボルドリッチ賞」を2回受賞していたからだ。この賞は高度経済成長でジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた頃、国際競争力が低下していた米国で生まれたものだ。日本やドイツの優れた企業を徹底的に研究した結果、「顧客に高い価値を提供することが競争力の源泉」だと結論づけ、米国産業を立て直すためにはじまった。日本では「日本経営品質賞」がこれに当たることを知り、4年目で受賞した。
─会長が特に大切にしておられる〝感性〟とは何か。
感性とは第六感。理屈ではなく「これはいける」と肌で感じる力だ。私は商売人だから評論家のように語るよりも、行動を起こして失敗し、そこから学ぶことで磨いてきた。行動と挑戦の中でしか、感性は育たない。
─いまでも土地選びは自ら視察されているとか?
そう、すべて自分の目で見ている。周囲がどれだけ〝いい土地〟と言っても、実際に現地に赴いて、違和感がある場合は事業化しない。数字や資料からは見えない気配を現地で感じ取る。やはり最後は自分の感性を信じるしかない。
─会長は楽しそうに仕事をしておられる。好奇心を持ち続けられる秘訣は。
〝楽しい〟と感じる心だ。私は土地を見に行くのが楽しい。好奇心があるから83歳になった今でも現場に赴ける。この年齢になると会社の利益より、今は人が育つ姿を見るのが何よりの楽しみだ。
─83歳になった今も、自分の足で現場に赴くとは恐れ入る。その健康法の一つに「自彊術(じきょうじゅつ)」があると伺ったが。
自彊術を始めてもう11年になるが、体や精神の健康維持に繋がっている。同郷の友人たちは病気になったり、足腰が悪くなったりしているが、そういう意味では元気かもしれない。激しい運動ではなくどこでもできるし、自宅や新幹線の中でもできる。今はやらないと体調が悪く感じるほどだ。
─最後に。今後の展開について教えてほしい。
時代は「ラグジュアリー=豪華」から「心地よさ・サステナブル」が価値になる。そんな〝次世代の価値観〟を反映したホテルをつくることだ。さらに今後はアジアへの展開も本格化させていく。来年、ベトナムに海外店舗を開業する。日本の〝おもてなし〟を世界に届けたい。日本の観光力は世界一だから、もっと世界とつながるホテルを作りたいと思っている。
─行動し、失敗し、また挑む。その熱意が次世代に継がれていくのを期待したい。

企業概要
「Natural, Organic, Smart」をコンセプトに、健康でサステナブルなライフスタイルを提案するホテルとして国内175店舗、海外1店舗(ミャンマー)を運営。創業当初から「ぐっすり眠れる」睡眠環境づくりにこだわり、ぐっすり眠れなければ宿泊料金を返還する「品質保証」を実施している。「J.D.パワー〝ホテル宿泊客満足度10年連続No.1<エコノミーホテル部門>〟」と「JCSI(日本版顧客満足度指数)『ビジネスホテル業種Standardクラス』調査で2年連続No.1」に輝いている。
スーパーホテル
大阪市西区西本町1-7-7 CE西本町ビル