神戸の震災から30年 被災者に寄り添い熱唱 地元出身の演歌歌手・瀬口侑希

 1月17日は阪神・淡路大震災から30年の節目。今年デビュー25周年で神戸市東灘区出身の演歌歌手、瀬口侑希は当時同区内の甲南大生だった。「当日授業を受ける教室のあった校舎が大きな被害を受けました」と当時を振り返る。今年はこの時期に合わせて実家に戻り、大阪と神戸で開かれた流行歌ライブに出演。「当時の被災者に寄り添う」と熱唱した。

ステージから笑顔で語りかける瀬口。トークが楽しい

 幼い頃から歌好きだった瀬口。震災を経験し学生として復興に関わる過程で、一度は封印していたプロ歌手への道を再び決意した。

 「当時の関西では〝京阪神に大地震はない〟と皆が思い込んでいました。それが突然の大地震。〝次の瞬間の事は誰も分からない。日々悔いを残さずに生きよう〟と決めました」

 大学卒業後、音楽関係企業の営業ウーマンを経て2000年にプロデビュー。今年のライブでは客席に集った地元ファンクラブや実家の家族らを前に、25周年記念曲に当たる「幸せに遠い岬」をはじめ過去のヒット曲をメドレーにしたものを含め5曲ずつを熱唱し、場内を回ってファンと握手交歓した。終了後は新曲CDなどを自ら販売、サインや写真撮影にも気軽に応じ明るく笑顔を振りまいた。

終演後にCDを直接販売する瀬口。ファンと気軽に交歓する

 新曲はご当地ソング作りで知られ、2004年「釧路湿原」(水森かおり)で日本作詩大賞を受けた木下龍太郞(08年、70歳で死去)が書き残した作品。瀬口の楽曲を手がける機会が多い大谷明裕が作曲を担当し、没後20年近くたってから日の目を見た。

 「コロナ前の19年に20周年となり、そこから5年間はなかなか動けなかった。その間ラテンのリズムを取り入れた〝運命の悪戯〟や〝誘惑のスキャンダル〟を心機一転ドレス姿で歌わせて頂き新しい面を広げられた」

「大阪流行歌ライブ」終了後、全出演者と記念写真に収まる瀬口(右から3人目)

 瀬口の持ち味は、抜群の滑舌で詞の内容をしっかり伝えられること。高低差の多い楽曲でも正確に上げきり、下げきりできるのでカラオケファンからは「歌いやすい」と評判。曲間の飾らない本音トークも好評で上品な立ちふるまいと相まって〝ライブが楽しい歌手〟としてファンが根強い。

 震災30年の朝、神戸は鎮魂に包まれた。

 瀬口は言う。「つらい体験を思い出したくない方も多い。でも昨年も能登や宮崎で大きな地震がありました。神戸で震災を体験した人間はけっしてあの日のことは忘れません。しっかりと防災、減災を意識しておられます」と遠くを見つめた。

(畑山博史)

瀬口が今年発送した年賀状。25周年の決意がにじむ