まつげパーマが一般的でなかった1996年に創業して以来、まつ毛デザインと目元美容で、今も時代の先端を走り続ける久山奈津さん。彼女が率いる目元美容サロン「ル・キヤ」は、一流が集う東京・丸の内と大阪・梅田にサロンを構えるが、その技術料は決して安くない。それでも「ル・キヤ」の施術を求める女性たちから、ひっきりなしに予約が入る。昨今は美容業界に限らず、低価格競争から抜け出そうと、ブランド化を目指す企業が数多い。すでに「ル・キヤ」を一つのブランドとして確立した久山さんに迫った。
「落ちないマスカラ」で一世風び
─久山さんが美容の世界に足を踏み入れたきっかけは。
私の美容人生はエステティシャンにはじまりました。でも、当時はただ華やかな世界に憧れて、という安易な気持ちでしかありませんでした。
ところが、いざ業界に入ってみるとびっくり。当時の日本国内には確たるライセンスもなく、エステはあいまいなサービス業。エステティシャンには誰でもなれたのです。このため、業界的に技術を追求していくような素地は整っていなかった気がします。
─思っていた世界と違った。
いくつかサロンを転々としましたが、どこも同じでした。でも、当時の私は特にやりたいこともなく、何となく働いていたから、それはそれで同僚とも仲良くなるし楽しかった。しかし、粧剤で手が荒れてしまい、続けられなくなったのでアパレル業界に転職しました。
─アパレルでの経験が起業のきっかけになったとか。
はい。同業種の知人と香港に買い付けに行ったときのことです。そこで大きな衝撃を受けました。現地では私と同じくらいの年齢の人が「これいいよ」とものすごく売り込んでくる。売れば売るだけインセンティブが入るのでみんな必死なんです。
同世代なのに仕事の熱量がすごくて、何となく生きている私がいかにぬるま湯にいるかに気づき、触発されました。
─そこから個人輸入を始めた。
当時は日本円が強かったから、現地では化粧品や高級バッグなどが安く手に入った。それを日本で販売するのですが、知識もないから失敗続き。靴の関税が60%もかかることを知らなかったり、化粧品も個人輸入レベルでは1アイテム24個までと決められていることを知らず、税関で没収されたり…。
それでも、徐々に板に付いてきたのですが、結局、個人輸入は裏方の仕事。私はやっぱり「煌びやかな世界が好き」という思いが強くなり、美容に戻ることに決めました。
─再び美容の世界に戻りひとりサロンからスタートした。勤め人時代との違いは。
目的意識がはっきりし、仕事に取り組む姿勢が180度変わったことですね。講習会で肌の基本から学び、知識がどんどん増えるのが楽しくて仕方なかった。
─ル・キヤのニキビケアはサロン開設時からの人気メニューだとか。
このメニューは同業種の友人にケアをしてもらい感動して一目散に取り入れました。ニキビに悩む女性たちも、みるみる結果が出たので手応えがありました。
顔のシミに悩む女性にも「どうなるかわからないけれど、やってみる」と宣言し、1年くらいで本当にシミがなくなった。このお客様からは「病院の先生でも改善できなかったのに、あのとき、やってみるって言ってくれたのがうれしかった」と言われました。
─今もメニューにある「ポアレスケア」がそれですね。
はい。毛穴からメラニンや老廃物を吐き出すケアで、当時から結果に自信を持っていたので、いまだに機械に頼っていないんです。500万~1000万円の機械がどんどん出てきていますが、機械に頼らず、30年も同じケアを続けています。
─ル・キヤを一躍有名にした「落ちないマスカラ」との出合いを教えてください。
お客様の顔のケアをしていて、まつ毛が切れた女性が多いことに気づきました。原因はマスカラが落ちないようにベースコート・トップコート、ネイルのような強さが人気だったアイメイクでした。マスカラを落とすため、洗顔時に強くこすってまつ毛が切れたり抜けたりしていたのです。私は「メイクではなく、技術で取れないマスカラはできないものか」と考えました。
─答えは見つかった?
伸び縮みする柔軟性のある材料に目を付けたのです。まつ毛を整えた後、この液を薄く繰り返し塗って形状記憶させる。効果は抜群で温泉に入ってもプールで泳いでもまったく落ちない。メイクも手抜きができると評判になり、テレビのワイドショーでも「落ちないマスカラ」として取り上げられました。
ル・キヤにしかできない「まつ毛カール」技術
─ル・キヤでは「まつ毛パーマ」を「まつ毛カール」と呼びます。施術直後だけでなく、美しいカールが約2カ月も持続するのがすごい。
上まつげは片目につき100本ほどありますが、それぞれ田植えのように根を真っ直ぐにしておかないと曲がって伸びてしまいます。だから、ていねいに手先を動かし、根元をほんのわずか残した状態で液を塗る繊細な技術が必要になります。
施術時にも細心の注意を払います。例えば、施術者はお客様の額で手を支えると、手先を動かしやすくなるのですが、手の重みで後頭部が痛くなってしまいます。だから、手を浮かせて施術する技術を習得します。
また、テープもよほどのことがなければ使いません。肌のデリケートな方が多く、赤みを帯びたり炎症を起こしてしまう可能性があるからです。こうした技術をスタッフに時間を掛けて指導していますが、一人前になるには3~4年かかります。
─話を聞いていると、技術の奥深さが伝わってきます。
料理でも何でもそうですが、追求することは本当に大事。追求心があれば課題を見つけられ、その課題を解決していくことが仕事のやりがいや楽しさにつながります。その繰り返しから深みが生まれ、オンリーワンの技術者へと成長するのです。お客様から「ずっとあなたにお願いしたい」と言われ、自分自身がブランドになっていきます。
─業界では、その「まつ毛パーマ」を集客の材料に据えているため、低価格競争が進んでいます。
確かにその傾向は強い。その結果、「まつ毛パーマ」自体が一括りにされ、消費者の視点は技術よりも値段になっている気がします。
でも、ル・キヤは技術に絶対の自信があるから安売りはしない。安売りに走れば、頑張って技術を磨いているスタッフのやる気をそぎ、業界自体の発展も閉ざしてしまいます。業界の未来を描くためにも技術の価値を地道にお客様に伝えていきたい。
─先生はお客さんの個性も大事にしているそうですね。
本当の美しさはバランスが大事。まつ毛はただ長くて多ければ良いのではなく、お客様ごとに生活の中心がどこにあるかを見極め、バランスを取ることが重要です。
だって、みんな同じではおかしいでしょう。お一人お一人が生きてきた背景を、美しく映し出す。それが品のある美しさですから。
─現在のル・キヤはアイラッシュだけでなく、フェイシャル、美脚などメニューも多彩です。「カバン屋のルイ・ヴィトン」ではなく、「ルイ・ヴィトンのカバン」といったように、ル・キヤ自体もブランド化が進んでいる気がします。
「品のある華やかな大人の美しさ」をずっと追いかけてきて、私自身が体感して「すごい」と思ったものだけをメニュー化したのが現在のル・キヤです。流行していても「これは違うな」と思えば却下するし、メニューは常に進化し続けています。一年を通じて「これだけメニューが変わるサロンは珍しい」と言われますが…(笑)
最近では、体の使い方にも関心があります。欧米人に比べ、体の小さな日本人が重い刀を振り回せるのは、筋力に頼るのではなく、体の使い方に真髄があるからです。字を書く、絵を描く、料理でフライパンを振るう。何でもそうですが、ムダな力が加わると肩が上がります。
マッサージもそう。施術者が力めばお客様は癒やされない。こちらの体が緩んでいないのに、お客様の体が緩むはずがありません。体の使い方を極め、最高の施術を提供したいと考えています。
─新たな境地にたどり着きそうです。
これからの世の中は、「こんな製品、化粧品を使っています」といった目に見える物質的な価値ではなく、施術を受けられるお客様の緊張に気づける施術者の感性、ふれる手でお客様をリラックスさせられる体の使い方など目に見えないものの価値を提供していきたいと考えています。