2020/6/13
SNSが凶器に 社会問題化するネットいじめを考える
木村花さん急死で規制論急増

女子プロレスラーの木村花さんが22歳の若さで亡くなった。自殺を図ったとみられる。出演していたフジテレビの恋愛リアリティー番組「テラスハウス」(関西地区は地上波放送なし)での言動に対し、SNS上で激しいバッシングに遭っていたことが分かった。若い女性をそこまで追い込んだ汚い言葉での大量の誹謗中傷に対し、責任と対策を求める議論が巻き起こっている。中高年や親世代が知るいじめ≠ニは異なるから、なかなかピンと来ないかもしれないが、子どもたちを守るためにもネットを使った現代版のいじめ≠フ構造に関心を持つべきだ。@運営者の責任A番組作りのあり方B被害者救済C投稿者責任―の4点から、読者のみなさんと一緒に考えてみたい。
@管理者責任
情報公開に高い壁
5月23日、木村さんは遺書とみられる書き置きを残して自宅マンションで亡くなった。発端は男女3人ずつが共同生活しながら、そこで起こるさまざまな出来事をカメラが追う番組のテラスハウス。番組の中で、自身の大切なリングウエアを男性が誤って洗濯乾燥機に掛け縮んでしまった。激怒した木村さんが男性を罵倒した。直後から非難が相次ぎ、木村さんのSNSには「消えろ」「死ね」など大量の汚い言葉が寄せられた。悩んでいた木村さんは突然死し、フジテレビは今シーズンの放送打ち切りを発表した。
いち早く反応したのは政府自民党だ。通信事業を担当する高市早苗総務相は「匿名で誹謗中傷する行為は、人として卑怯」と制度改正の検討を表明。自民党プロジェクトチーム座長の三原じゅん子参院議員は「ネット上が無法地帯化している」と野党を巻き込んでの議員立法化を目指すと追従した。
2001年に「プロバイダー責任制限法」という法律が作られた。ウソを含め誹謗中傷された者は、ツイッター社などの管理者に「誰が発信したのか」の情報開示を求められるが、当時はツイッターやインスタグラムなど影響力のあるSNSが普及する前で、20年たった今の拡散力は比べものにならない。
一方で「表現と言論の自由」の高いハードルが付きまとう。強制削除や訂正を行わせようとすれば「どこまでが自由な言論で、どこから誹謗中傷か」の線引きが必要。管理者や事業者任せでは難しく、かといって国に勝手に基準を決められても困る。
米国でトランプ大統領とツイッター社が対立しているように、権力者が名を明かして書き込んだ意見を、管理者が「削除や訂正要求、注意喚起ができるか」というせめぎ合いが起きており、問題は複雑だ。
A番組は作り物
真実か、ヤラセか
日本でのリアリティー番組の草分けは「進め!電波少年」(1992年開始)だ。視聴者はハラハラしながら見守るが、中身はドキュメンタリーではない。あくまで番組として制作されリアルっぽく見せている。安全や人権に配慮しながら、経費や時間に迫られた演出が介在し「どこまでが真実で、どこからがヤラセか?」は永遠のせめぎ合いだ。
「テラスハウス」の出演者は純粋な一般人ではなく、準タレント。リアリティーはあるが、本当のリアルとは異なる。内容が過激になるほど視聴率が上がるが、一方で出演者を応援したり非難が起きたりもする。テレビ局は視聴率向上が至上命令で、ドラマでも時代劇でも人気者や悪役を産み出す現象は起こりうる。
こうした背景を理解していないと、「こんな番組を作ったテレビ局が悪い」と単に矛先を悪役からテ レビ局にすり替えるだけの議論になり、本質を見失う。
B被害者保護
泣き寝入りするな
「校庭の陰に呼び出して脅す」。親世代や中高齢者のいじめ観≠ヘこんな感じではないか。この基準では現代版いじめ≠ヘ理解できない。
今はネット上での言葉のやり取りで、見ず知らずの人を含めた大勢がジワジワと誹謗中傷してくる。悪口やウソまで広まる。そして、実際の日常生活では、無視や白眼視に遭う。これはモラルハラスメント(通称・モラハラ)の一環で、セクハラやパワハラのように社会問題になっている。
人間は自尊心を傷付けられ、存在を抹殺されると生きていけない。もともと体を使ったコミュニケーションを前提に脳が形成されているので、バーチャルな付き合い方だけで責められ続けると、心身に変調をきたす恐れが大きい。
亡くなった木村さんが所属していたのは、サーカスや大衆演劇にも似たプロレスという団体組織。一緒に興行場所を移動し、生活も共にする家族的集団で育ったため、独りで誹謗中傷を受け止める経験が乏しかった面もあったようだ。制作側に出演者個々へのケアや相談窓口設置、精神面のフォ ローという十分な準備が欠けていたことも見逃せない。
C投稿者責任
自由は無限ではない
「通信の秘密保持」と「匿名表現の自由」は、個人が日本国憲法で保障されている権利だ。しかし、刑事で罪に問われたり民事で損害賠償を求められたりする危険性を常にはらんでいる。ヘイトスピーチのように 即、犯罪!≠ニ認定される場合もある。日本の場合、政治家や行政などへの批判は「公共性がある」と見なされ違法性は問われない。
SNSが登場するまでは、個人の意見を広くアピールできる場はなかった。新聞やテレビ、ラジオに投稿しても、取り上げられる可能性はほぼ皆無。それが現在、有名人との距離が一気に近づき、誰でも直接、批判のコメントを送れる時代になった。
どんな人がネットに匿名の誹謗中傷書き込みをするのだろう?
SNSを読む人でわずか1・5%程度。思い浮かぶような偏執的イメージではなく、常識的に生きる普通の男女が突如牙をむくとされる。その背景は恨みではなく、義憤や嫉妬からで内容は短絡的で稚拙。匿名という安全地帯をバックにたたいて来て、いざ木村さんのような悲劇が生じると、さっさと投稿自体を消して逃げて行く。そこに自分の発言に対する覚悟や責任はなく、高市総務相のいう「卑怯な」存在なのだ。
若者にとってSNSは、本音で書き込めるはけ口であり、誰とでも対等に付き合える欠かせないツール。大人が「そんなもの見なければいい」だけでは解決しない。使いこなしのルールをしっかり定め、国に命じられなくても守って行きたい。
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